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料理はほかにもいろいろあります。

2012年10月16日火曜日

デスク手帳

15年から20年ほど前、地方紙の編主局でデスクをやっていた。
デスクというのは、取材に動き回る記者と違って、その名の通り机に座り、電話を握りっ放しの業務。記者たちから入る連絡や上がってきた記事に注文を付け、新たな指示を出し、彼らとキャッチボールしながら記事の精度を上げていく。
紙面全体のイメージを作り、記者以外のカメラマンたちへの注文や指示、見出しや紙面レイアウトを担う整理部記者に出来上がった記事、写真を渡す。
その間に、直接紙面原稿を書くこともある。「論説」や「デスク手帳」がそれ。
こんなデスク手帳を書いていた。
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1999年04月18日 
〈優しくなれそう〉

今月からスタートした「まるごと佐賀ん情報」を担当している。「うちの家族」「ボクの夢、私の夢」など子どもたちの文章は楽しい。おじいちゃんが大好きな女の子、かっこいい警察官のお父さんが自慢の男の子。読んでいて、噴き出したり、胸を熱くしたり、こちらも忙しい。
先生の指導で、子どもたちが熱心に書いている教室の情景が浮かぶ。各地の小学校で起きている「学級崩壊」が、遠い世界のことのようだ。
もちろん、そんなことはあるまい。いじめは生き物の本能。オオカミは、群れ全体が飢えないために、最も働きの悪い者を追い出す。食べられるシカの方も、けがを負っている者や、足の弱い子どもは見捨てられるという。
生まれ落ちた時点では、ヒトもオオカミも大差はない。その後の教育が、他の生き物とヒトとを差別化する。「忙しいお母さんを、手伝ってあげたい」という、いじらしい文章には、しっかりとした家庭のしつけ、行き届いた先生の指導を感じ、大いに安心する。この仕事を続けていると、私自身も優しくなれそうな…。
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1998年11月22日
〈しし座流星群〉

「ピークは未明」。しし座流星群の見出しをつけ、にんまりしてしまった。〝夜の勤め人〟にとって、午前三時、四時は宵の口。雨のように降る星をたっぷりと拝める。見上げれば、満天の星。さて、願い事は何にしよう。
世界経済の好転か、つつましく家内安全?。いや、ここは欲を張って「買った宝くじが大当たり」なんて…。
途端、星ならぬ冷たい滴が空からぽつり。18日午前零時20分のことだった。それでも未練がましく一時間おきに、庭に出てみたが、ついに一個の星すら見られずじまい。
「男、男、男って祈ろう。一つくらい当たるかも」と大っぴらに騒いでいた同僚の女性社員たち。物見やぐら越しのアングルを狙い吉野ケ里まで足を運んだ写真部員、一家3代で多良岳に登った高校時代の級友…。みんな本当にお疲れさま。
でもまあ、不景気な現実を忘れ、寒さや睡魔と戦いながら一夜、ロマンを追ったのは、それなりにステキな思い出になるはず。たとえ、ささやかな欲と二人連れだったとしてもだ―。

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1998年07月12日 
〈逃げ水〉

熱いアスファルトの先が濡れたように見える現象。「逃げ水」というらしい。どこまで行っても追いつけない。新聞づくりも同じ。締め切りぎりぎりまで、あらがい続け、刷り立ての紙面を見ながら「こんな見出しにしておけば…」の繰り返し。
紙面製作は夕方、素材になるニュースの扱いを決め、真っ白な割付用紙にトップ、準トップと、デッサンしていくことから始まる。夜、新しいニュースが次々に飛び込み、形はどんどん変わる。見出しも、より的確なものにと、何度も練り直していく。午後10時を過ぎると、編集局は毎日ちょっとした〝戦争〟だ。
動き続ける作業の中でミスが発生する。内容によっては、回り始めたばかりの輪転機を止める事態も。若い整理記者に大胆さを求めながら、同時に細心の注意を促さなければならない。矛盾が矛盾ではない世界だ。
しかし最後の紙面を降版した時の安どと充実感は、そんな悩みを一掃する。午前1時すぎ、社屋を出て初めて雨に気づく。次々に出発して行く発送のトラック。明日こそもっと納得いく紙面を作ろう。「逃げ水」を追う日々が続く。
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1998年03月08日
〈子どもたちが気になる〉

不況がどっかりと居座り続けている。公共工事は大幅カット、財布のひもは緩む気配なし。県内でも、このところ企業倒産のニュースが後を絶たない。今こそリーダーシップを発揮すべき大蔵省や日銀は、汚職まみれの体たらく。
紙面に大見出しで、この現状を伝えながら、片一方でこれを読む子供たちの視線が気になる。増え続ける中学生の凶行が、決して無縁ではないと思えるからだ。「どうしたらいいのか?」、悲鳴を上げる現場の教師たちに、自身の姿がだぶる。
子供たちを取り巻く環境は、われわれの時代とは隔絶の感がある。パソコン、携帯電話やポケベル、そしてバタフライナイフ…。インターネットは便利なツールだが、偏った情報だけを吸収していく危険も併せ持つ。大人の知らない世界が構築されていく。机の引き出しには、通販で手に入れたナイフも。
彼らの人権は尊重しながらも、時に部屋の点検は必要だ。厳しい時代に、頑張るおやじの背中を、きっと見ててくれると信じていたのに、振り返ったら、息子はとんでもないところへ。こんな悲劇だけは避けたい。
桜の開花も近い。子供たちの弾ける笑顔が大写しで載ったニュースが、今何より欲しい。
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〈おーい、県警〉

若いころ、2年間だけ警察記者を担当した。その4カ月前に起きた「白石・須古の連続殺人」を背負ったままの異動だった。
そして「中原町・主婦」「北茂安町・小5女児」「佐賀市・高利貸し」―と次々に殺人事件が発生。すべて未解決のまま、15年後に現在の職場で、「時効」の見出しを自ら付ける羽目になった。取材した当時の遺族の顔や声、その無念を思いつつ。
県警の名誉のために言っておくと、この間「肥前町の保険金替え玉」はじめ合計10件を超す殺人に加え、銀行強盗も2件。凶悪事件ラッシュは、少ない捜査員では荷が勝ち過ぎる事態ではあった。
それでも事件を解決するのが警察の仕事。そこで「江北町のゲームソフト店主殺し」である。発生から丸1カ月。目撃者が2人もいる。どうやら少年の犯行らしい。先日の県議会では、県警本部長が「努力する」と答弁していたが、当たり前。「犯人は必ず捕まる」が法治国家の原則であり、だれもが信じている。これ以上裏切り続けるわけにはいかない。

現場周辺の人々の恐怖を1日も早く取り除き、被疑者自身の更生のためにも、検挙を急がなければならない。過去の事件に比べ、それほど複雑ともみえない。刑事部長、何してるの?

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1997年04月13日 
〈真夜中のぼやき〉

「本日、世は事もなし。よって、この欄白紙」。こんな社会面を、いっぺん作りたい。特に週末、ニュースがない時、心底そう思う。何で治安がこんなにいいんだ、と警察を逆恨みしたくなる。とんでもない人間になっていくようで怖い。
国際紛争、外交、スポーツ…地球が狭くなり、締め切りぎりぎりで、ニュースを突っ込むのは日常のこと。でも忘れられないのはフランスの核実験。5回も6回も輪転機を止めに印刷部まで走った。日本の片田舎の新聞社のデスクが毎回、夜中に廊下を走ってるなんて、シラクは知らず。「核実験反対!」。
出来立ての粗悪な新商品(インクで手が汚れるから、中身ではないので念のため)を持ち帰り、缶ビール片手に読み返すのが日課。当然ながら既に時刻は「明日」。愚妻がやおら起き出して、ひったくると社会面の左下から記事を読み始める。
「あら、私たちより若い人が亡くなってる!」
ボキャブラリーを駆使、考えに考えて見出しをつけたトップ記事は全く無視。いつの日か、彼女が目をむくような紙面を、と決意する毎日だ。
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1996年06月09日 
〈情報化と安全意識〉

8年前から全国の交通事故死者数が1万人を下らない。阪神大震災の2倍。毎年、あんな地震が2回も起き続けていると考えると怖い。原因の大半が前をよく見ていなかったため。そこで気になるのが運転しながらの携帯電話。話すものだが、十分に気は散る。話に夢中になっての事故が現に増え始め、警察庁も調査に乗り出した。
しかしテレビやカーナビなど「見るもの」も既に出回っている。その上、ファクスまで取り付けようという計画まであるらしい。こうした車のマルチメディア化は当然、運転手がいる役員車が対象だろうが、安くなればだれもが手にできる危険が潜む。
コンピューターの発展とともに「情報化」へと時代は音を立てて進む。市場にこれら「便利グッズ」があふれ、新たな危険が生まれる。輪禍の不幸は論を待たない。後手に回らないためにも、国を挙げての早急な対策と、個々人の安全意識の徹底が急がれる。
折も折、県内のドライバーが50万人を超えた。危険はもうそこまで…。
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1996年12月01日 
〈“平成一揆”に脱帽〉

平成一揆(いっき)の勝利だ。秋田県知事辞意表明のニュースを聞いて、瞬間的にそう思った。だから当日の社会面は「住民パワーが追い詰めた」の見出しで、この記事を迷わずトップに。
役人の抵抗にめげず、膨大な資料をもとに粘り強い調査で、不正を追及していった人たちの姿勢には頭が下がる。
借金しても返さぬ住専、公定歩合を一気に下げさせ、黒転した銀行、福祉を食い物にする役人、腰の重い司法当局、そして自治体まで…。まかり通る非常識に待ったをかけた市民たちの快挙だ。
正直に言おう。食料費の情報公開が始まった時、少しうっとうしさを感じた。取材は人に本音を迫る。そんな時、アルコールは重宝だ。予算の折衝も同じだろう、少々の出費は許されると考えた。ところがどうだ。裏金、カラ出張、カラ雇用…、あらゆる不正が全国で暴かれていった。
反省。繰り返される構造汚職の中で、私自身の「是非の定規」もひずみが生じていたようだ。現状が間違っていると感じたら、決してこれを肯定せず、追及していく報道本来の使命をあらためて肝に命じた。
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1995年07月23日
〈紙面が狭い〉

今年は、のっけから大震災、オウムと〝超〟大事件のダブルパンチ。特に後者は「現在進行形ノンフィクション」で、紙面から外せない。その結果、どうしてもほかの事件が割を食う。気になっているのが殺人事件の多発。しかもほとんどがバラバラで、凶悪化している。
地震も多い。連日のように列島のどこかしらで、震度3、4クラスが発生しており、不気味だ。それが紙面に載せられない。せいぜいベタ(一段)記事だ。少年たちのいじめ、自殺なども依然、後を絶たない。外国人の犯罪が急増しているのも気にかかる。
不景気、異常気象、だらしない政治。このため世相が暗い。そういえば電気をストップされたため亡くなった気の毒なお年寄りもいた。
特に社会面は世相を映し出す鏡。これらをすべて伝えたいのに、できないもどかしさ。「地ダネ優先を」「原稿が長過ぎる、全国や世界のニュースが入らん」。毎日の報道部と整理部のやりとりは、ついつい声高になりがち。いかん、こんなときこそ私ぐらい冷静にならなければ…。
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1995年12月03日 
〈中学生の自殺〉

 **君の一周忌(11月27日)を待っていたかのように、新潟の中学生が自殺。ある識者はセンセーショナルに扱ったマスコミの姿勢にも一因があると断じた。タイミングがよすぎる。自殺をあおる結果になったという指摘は否定はできない。
 翌日、両親のOKも出て**君の実名報道に。遺書の全文も送ってきた。さて、どう扱うか。デスク会議で議論の末、第二社会面のトップで落ち着く。結果は他紙も似たような扱いではあった。
 お父さんの話では、手のかからぬいい子。はた目には明るいスポーツマン。でもいじめられ、「ぼくがぎせいになります」と、お気に入りのバスケットリングで首をくくった。
 きっかけは、いやになるくらいささいだ。遊びに来た友達が、**君の妹を泣かせた。「もう来るな」と父親にしかられた次の日から「無視」が始まった。事件後のアンケートでは、周りの子もいじめに気付いていたという。
 子どもたちは病んでいる。訴えている。みんなで考えるべき問題。新聞が無視するわけにはいかない。記事の中身、扱い、見出しのすべてに慎重を期した上で、提起して行くべきと思う。それにしても「中学生諸君、頼むから死ぬな」。


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