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料理はほかにもいろいろあります。

2012年10月21日日曜日

めちゃうま!

知り合いに教えてもらい、「さつまいもと豚バラのさっと煮」という料理を作ってみた。
詳しいレシピは、東京・広尾の有名和食店「分とく山」総料理長の野崎洋光さんが淡口醤油を使った料理を紹介しているコーナーにあった。

野崎さんといえば出汁にこだわる料理人でテレビの料理番組でもひんぱんに出ている人。長嶋監督が率いたアテネ五輪野球チームでも、監督に懇願され料理長を務めた。

さて、しかし私自身はサツマイモやセロリがあまり好みではない。しかもその両方を煮る?というのもなんだかぴんと来ない。というよりサツマイモは焼き芋以外では天ぷらぐらいしか味わったことがないし、くせのあるセロリも嫌いではないが、煮たものを食したことはない。

ご飯の上がそれ、「さつまいもと豚バラのさっと煮」黒っぽく見えているのはサツマイモ。
左はだし巻と筑前煮。さらに左は煮込みハンバーグで下が帝国ホテル風?ポテトサラダ
材料はサツマイモ200gと豚バラ100g、セロリ1本、分葱3本。あとは水150cc淡口醤油とみりんが各大さじ1強。それに昆布5cm×5cm。

とにかく作ってみた。分葱は手に入らなかったので、白ネギで代用。サツマイモはしっかり洗った後、5mmの輪切りにし、水につけてアクを抜いた。豚バラは5cmに切って、湯通しし霜降りに。セロリは皮をむき、筋を取る?筋はともかく、皮ってどんなして剥くの?ネットで調べたら皮むき器を使え、だと。なるほど一気に筋まで取れた。

いよいよ調理。まずはイモとセロリをさっと炒め、そこに醤油とみりん、そして昆布を入れてひたひたにして煮る。これによく火が通ったら豚肉とネギを入れ、肉にしっかり火が通ったら完成。

味見してびっくり!これがとんでもなくうまかったのだ!だし・調味料がサツマイモの甘さとぴったりとなじみ、何とも言えないほど美味。全く予想外!いつもおいしいものができると(手抜きせず=手抜きできるほどの料理キャリアがない=つくるから、ほとんどみんなおいしいのだ)、一人でじっくり味わい、にんまりし、幸せに酔いしれるのだが、今回はみんなに食べてもらいたいと思った。で、きっとお腹をすかしているだろうと思える若い人たちに電話。結果2人がやってきて食べてくれた。

この

2012年10月19日金曜日

親友の大臣賞受賞

友人で佐賀県庁統括本部副本部長の志波幸男氏が総務大臣表彰を受賞、その祝賀会に久しぶりにネクタイを締め出席した。

志波氏とは官と民の立場の違いはあれ、ともに「ニューメディア時代」から四半世紀以上にわたり「情報化担当者」として、いやそんなものははるかに越え「最も親しい友人」として深く付き合ってきた。
ただ民間の私が分不相応にも九州総合通信局長賞や県政功労者表彰などを受けてきたのに、彼は公務員だからなのか、賞には無縁。本来称賛されるべきは彼の方なのにといつも感じていた。
それがいきなり、総務大臣賞。本当にうれしい。情報化促進貢献の個人表彰で、公務員が受賞するのは極めて異例だとか。いつも同省の官僚たちに苦口を吐き続け、どちらかといえば「嫌われていた(本人談)」はずなのに、官僚もなかなか粋な計らいをしたものだ。

祝賀会には、前県CIOだった川島宏一さんも駆けつけていて久しぶりに旧交を温めた。といっても、なんだかものすごく忙しそうで、途中で気が付くと、東京にUターンしていた。そんなハードスケジュールを縫ってこの日のために、佐賀のみんなと志波さんを祝うために佐賀まで足を運んでいただいたようだ。いかにも川島さんらしいし、それだけ誰よりもこの受賞を喜び、評価していたんだと思う。

電波銀座と呼ばれるくらい、地方にあってテレビのすべてのキー局が見える佐賀は、地デジ化にとっては逆に難しい問題があった。この難問をケーブルテレビ網を使うことでクリアしたのも志波さんのアイデア。川島さんとの二人三脚で混乱なく2011年を乗り切った。このお二人と一緒に仕事ができたことが、私自身の最大の喜び。心から感謝したい。


2012年10月16日火曜日

吉凶は


2012/02

佐賀県内は8日、強い冬型の気圧配置となり、平野部でも強い雪が降った。山間部を中心にスリップで5件の物損事故が発生したという。
2月に入った途端、それまでの暖冬もようから一気に寒が強くなった。ラニーニャ現象の影響らしい。
これは、南米ペルー沖の太平洋赤道付近で海面温度が低下する現象。深海から冷水が湧き出てくることで、太平洋で貿易風が強まり、西向きの海流が発生する。
この結果、日本では夏場に猛暑、冬は寒が強くなる。ちなみにラニーニャとは、スペイン語で「女の子」の意味。反対に、ここの海面温度が上昇する現象がエルニーニョ、「男の子」の意味だ。ともに数年おきに「異常気象」と呼ばれる強い現象が起きているようで、今回も昨年11月ごろ、発生を予測する情報がネット上で流れていた。

ただ、このラニーニャが起き、寒が強くなったが、だからといって悪いことばかりではない。確かに風邪や交通事故は増える。しかし一方で、県内産のノリ生育にはこの寒さが幸いした。
有明海の水温が高くて不振だった秋芽網ノリと違って、冷凍網が好調だ。同じ8日に行われた冷凍アミ3回目の入札会で、販売量は今季初めて3億枚の大台を突破した。前季を0・5%上回る3億2800万枚に達し、販売額も1・2%増の36億9900万円になった。佐賀が誇る有明海苔の生産には、低水温が何より重要。高くなるとさまざまな病気や、赤潮など生産不能に陥る環境変化が起きてくる。

「吉凶はあざなえる縄のごとし」。何か事が起きると、負の面が強調されがちだが、もう少し視界を広げればちゃーんとプラス面がある。必ずある。景気をはじめ、このところ世界中が暗い、そして寒い。そんな今だからこそ意識して、明るい、いいことの方を見つけることの大事さを、あらためて思う。



 





日韓シニアネットフォーラムin佐賀


2012/04/22

 5月24日に佐賀市富士町で開かれる「日韓シニアネットフォーラムin佐賀」のコーディネイト役を引き受けることになった。県情報企画監の廉(ヨム)宗淳さん(51歳)からの依頼では断れない。

 廉さんは東京に本社を置き、コンピューターソフトウェアの開発・販売などを手がけるIT企業「イーコーポレーションドットジェーピー」代表取締役で、佐賀県の情報企画監や青森市の情報政策調整監を勤めるなど日韓をまたにかけ、しかも官民二足のわらじをはくエネルギッシュな国際人。彼が5年前に佐賀県庁にやってきて以来の付き合いだ。

 彼は佐賀県庁内システムの全体最適化のけん引役として知られ、全国の自治体の注目を集めている。どの部署がいつ、どんなシステムを、どのベンダーからいくらで導入し、さらにぞれぞれが何をやっているかなど情報システムの全体像を常に把握し、分析できるシステム。これを佐賀県が独自に開発したことで全国自治体の注目を集めている。

 その廉さんが今回のフォーラム第2部で「ICTがつなぐ、深める日韓の絆」と題し基調講演。これを受け「ICTが変えるシニアの観光」のテーマでパネルディスカッションをやる。

 主催は豊かで活力に満ちた高齢化社会の実現を目指す熟年・高齢者世代自身が情報機器を駆使し活動する「メロウ倶楽部(mellow=円熟)」と韓国高齢者情報化教育協議会KJクラブ 、シニア情報生活アドバイザー佐賀。

 「メロウ倶楽部」の存在は聞いていたが、自身がセカンドライフに入った直後に直接かかわりあえるなんて、なんとまたタイミングのいいこと。廉さんからの依頼は、実は渡りに船みたいなものだった。

 第1部は日韓のパソコン愛好者のシニアたちが集い、最新のタブレット型情報通信端末「iPad」や「スマートフォン」について学ぶ。そして2部のシンポではインターネットを活用した新しい観光、国際交流についてシニアの声を発信する。
 
 舞台は湯の町・古湯。廉さんの講演では、住民の平均年齢70才の韓国・ポリコッゲ村がITの活用などで年間100人だった観光客が1万人に増えたという話も織り込まれるとか。情報端末を駆使しながら旅をこよなく愛するメロウ倶楽部副会長の若宮正子さん(77)らがパネリスト。なんだかすごく楽しそうで、元気がもらえそう。私自身が今からわくわくしている。

小林秀雄の「真贋」


2012/03/31

3月もいよいよ今日で終わり。ソメイヨシノは早くも5分ほど開いた木もあり、ユキヤナギやコブシの白、レンギョの黄色がまぶしい。馬酔木も可憐な花をたくさん咲かせている。寒かった今年の冬がうそのような天気だ。

今月中旬まではちらりとも姿を見せなかったメジロがかまびすしく動き回り、ウグイス求愛の練習にも力が入ってきた。かつては街中で見かけることのなかったキジバト夫婦が当たり前のようにわが家の庭木の果実をついばんでいるし、近くの公園ではムクドリの群れがギャーギャーとやかましい。シロセキレイが流れるような早足で散歩途中の私の前を横切れば、桜の枝先ではシジュウカラより少し小ぶりのヒガラが身づくろいをしている。

ネットのおかげで野草や野鳥にもそこそこに詳しくなり、今日はどんな鳥に出会えるのかと楽しみになってきた。

ネットといえば、愛読しているライフハッカーの格言で小林秀雄の「真贋」を取り上げていた。有名な古物商が若いころ、素晴らしい志野焼の茶碗を見つけ3000円(教員初任給が50円程度の時代)で落札、狂喜していると、先輩の商売人から「あれはどこの会でも300円を出たことがない」と言われてしまう。実際、数日後にある金持ちのところに持って行ったが売れなかった。
それで彼にはやっぱり、その茶碗は美しく見える。そうして一晩、眠られぬ夜が明け、茫然と雀の鳴き声を聞いていると…「茶碗はいいのだ、俺という人間に信用がないだけだ」という考えがふと浮かび、その突然の安心感でぐっすり寝てしまう。

その後彼に信用がつくに従い、彼の茶碗が美しくなったことは言うまでもない。同じ人間が発する言葉でも、その人の信用や信頼性がその効果を左右する。
 「真贋」とはつまりはそこにある。同時に「信用」は一朝一夕には付かないし、せっかく付いてもひとたび間違えばあっという間に失ってしまう。その重要性もまたあらためて思った。

性暴力抑止について


2012/03/28

 性暴力被害者の治療と相談を、新年度から佐賀県立病院がまとめて行うことが決まった。警察への被害申告がなくても医師の確認があれば、検査費や処置料など医療費について県が上限を設けずに全額負担する。支援拠点の医療機関と連携して身体面に加え、中長期の精神的サポート体制を確立するというもので、自治体独自のこうした支援は全国的にあまり例がないという。
 当然ながら性暴力問題はきわめて表面化しにくい。いわゆるドメスティック=家庭内暴力のうえ、相手が夫である場合が圧倒的に多いから、第三者に相談しにくい。
 それでもこの種の相談窓口が徐々に増えたことで、その件数が次第に増え、2009年度は全国で7万件と2002年度の2倍に達した。異性から無理やりに性交された経験がある20歳以上の女性は7.3%、うち被害をどこ(だれ)にも相談していない女性は62.6%に上った。
 この深刻な状況を受け内閣府が今年2月から3月にかけ全国一斉に調査した(パープルダイヤル―性暴力・DV相談電話―)ところ、佐賀県は九州で2番目、全国23番目に多い相談があった。佐賀県が今回のプランをまとめたのはことし1月。調査が始まる前だから、実にいいタイミングであり、当を得た対策だったといえる。
 それはともかく、このパープルダイヤルの中身をみると、相談件数は合計で20,462件、佐賀は208件だった。相談者の年齢は30代が22.3%、40代19.4%、20代12.7%の順。70代以上2.4%、10代1.2%だった。
 暴力を振るう相手は「元」も含め配偶者が85.9%と断トツ。交際相手は16.9%だった。暴力の継続年数は「16年以上」が20.7%でトップ。続いて1-3年が16.5%、6-10年11.9%。
 相談目的は「話しを聞いてほしい」が45.7%で最も多く、続いて「情報がほしい」31.2%、「来るべき時に備え準備」11.0%。「今すぐ避難」が2.0%あった。
 余談だが、このアンケート調査をどの媒体で知ったかについては、テレビが61.0%と断トツ。次がインターネットの16.4%。新聞はわずか7.3%と、ちょっと情けない結果に終わった。
 いずれにしろこの問題は年々増加の一途をたどっており、深刻。韓国では一昨年処罰を強化したにもかかわらず、昨年は犯罪件数が前年の2倍になったという。
 暴力を振るう男は最低だ。子供のころ(中2で生徒会の保険部長だった時)、このことを保健室の先生からしっかりと叩き込まれた。「女の子の体はとってもデリケートなの。男の子が優しく守ってあげないといけないんだよ」。中には私よりもうんと体格がよく、とっても頑丈な女子もいたが、異性の体の構造なんて何も知らなかったときに、生理の話を教えられたのは強烈なカルチャーショック。以来、女性に手を上げたことはない。
 個人的なつたない経験ではあるが。やっぱり思春期の教育が最も効果的だと思うのだが。

プラス思考の大切さ


2012/02/9

プラス思考で前向きに生きることが、結果として「ツキ」を呼びこむ。こんな事例が、実は意外に多いらしい。プラス思考になると、体内にセロトニンという神経伝達物質がたくさん分泌されて集中力が高まり、結果として事がうまく運ぶことにつながるという。この物質が不足すると、うつ病などを誘発する。だめだ、だめだとはかなんで沈んでばかりでは何も生まれない。夢や希望を持って明るく過ごす方が好結果を得られるのは、うなづける話だ。

知人に勧められ「ツキを呼ぶ魔法の言葉」という本を読んだ。本というより小冊子。ページ数は60ページに満たない。あっという間に読み終えるけど、読み終わった後、誰もが前向きな気持ちになれること、請け合いだ。

著者は材料工学や表面改質工学などが専門の工学博士、五日市剛 (いつかいち つよし)さん。学生時代に中東を旅し、そこで出会ったおばあさんに聞いた言葉を素直に信じ、実践した結果、その後の人生が幸運に恵まれたものに変わった、というお話。

そしてその「ツキを呼ぶ魔法の言葉」とは、「ありがとう」「感謝します」「ツイてる」 の3つ。
「運命というのは本当にある。つきも実は簡単に手に入る」と話すおばあさんは、いやなことがあったら「ありがとう」、いいことがあったら「感謝します」と何度も何度も繰り返せ、そうしてたらツキは必ずやってくる、と断言。また「絶対に人の悪口を言ってはいけい。人の口から発せられる言葉は魂を持っているから、常にきれいな言葉を使いなさい」とアドバイスしたという。

若いころ、この話を聞いたら一蹴していただろう。60歳を過ぎた今はなるほど、と素直に胸に落ちる。
「ありがとう」「感謝します」「ツイてる」 。「ありがとう」「感謝します」「ツイてる」 。「ありがとう」「感謝します」「ツイてる」 。なんだか気持ちが明るくなってきた。

オカメインコ

2012/02/12

会社で、若い部下たちがはしゃいでいる。聞くとはなしに聴いていると、オカメインコやセキセイインコを飼ってみたい、という話のようだ。どらどら、おじさんの出番だ。i-Phonを片手に話の輪の中に首を突っ込んだ。

「キミたち、知らないの?」。i-Phoneのシステムの中から「YouTube(ユーチューブ)」を選び、「検索」ボタンを押して「インコ」と打ち込む。操作する場所、ネットの環境にもよるが、その時は瞬く間に全国から集まったインコファンからの映像の便りが画面にびっしり。おしゃべりでいたずら者のオカメインコやセキセイインコ、ダルマインコたちがいっぱいだ。

「ぴーちゃん、おりこさんでしょ、ごはんあげるからね」。早口の高いキーでインコたちがブレスなしのおしゃべり。どれを選んでもほほえましい映像ばかりで、思いっきり癒される。
「YouTube」はもちろんパソコンでもOK。というより、もともとPC向けに作られ、スマートフォンでも使えるようになったわけだ。最近は携帯電話に付いているカメラにも動画機能が付加され、ちょっとした映像が撮れる。この機能を使ってたくさんの人が可愛いペットの姿をアップしてくれる。自分で飼えない人が、その映像を見て癒される。

以前、コスタリカから来た留学生と、その子どもたちと知り合い、その後地球の裏側に帰っていった母子から時折、「YouTube」の楽しいビデオレターが届く。しかもこの通信料はただ。なんだか申し訳ないほどだ。こんな素晴らしいものを利用しないって、もったいなくない?

いきなりの突風

2012/04/03

昨夜からものすごい風雨。雨は朝になってあがったが風は勢いを止めない。富山県では80代の男性が倒れた納屋の下敷きになり、石川県では同じく80代女性が道路で転倒して亡くなった。新幹線や飛行機など交通機関にも影響が出ているようだ。まるで台風。
 佐賀県庁前の桜は吹雪みたいに花びらを散らし、中には早くも葉桜に変わりつつある木もある。なんだか春がいくスピードが速い。例年だとゴールデンウイーク頃までいる、西堀のヒドリガモも4月を待たずに飛び去った。
 こちらが定年になってのんびり暮らしになったせいか、周囲の動きがやたら早く感じられる。

 堀のカモがヒドリガモに変わったのは15~20年前。それまではマガモがガーガーとにぎやかに暮らしていた。ヒドリガモが堀に飛来するようになったら、南側の堀にねぐらを移してエリアを分けていた。そのうちマガモの群れは姿を消し、一部のペアが市内の川で留鳥として過ごすようになった。5月になると卵から孵化した雛たちが市内各地で愛らしい姿を見せる。佐賀新聞でも紹介したことがあった。

 庭や公園で野鳥もようやく姿を見せるようになった。ネット上の図鑑で調べ、少し詳しくなった。
「鳥の名前を調べるための検索表」というとっても分かりやすいタイトルのサイトが、その中身もすごく調べやすい。
 愛媛県の泉原猛さんのブログだ。元NTTマンで、日本野鳥の会入会は45年前というベテラン。サイトには泉原さんの手による楽しいバードウォッチングのページがあり、眺めていると興味が広がり、あきない。ネットの世界はこうした素晴らしい情報を精力的に提供してくれる人たちがあふれ有り難い。

 突然の交通機関の麻痺には、モバイル情報が便利。鳥や花の名前を調べるなど情報を能動的に取りにいくにはもってこい。すばらしいメディアだ。テレビや新聞、特に後者は問題意識を育てるのに欠かせない。これら期間メディアと併用することで、自らの考えとして問題を整理できるようになる。こと情報に関する限りは、本当に快適な世の中になったものだ。

デスク手帳

15年から20年ほど前、地方紙の編主局でデスクをやっていた。
デスクというのは、取材に動き回る記者と違って、その名の通り机に座り、電話を握りっ放しの業務。記者たちから入る連絡や上がってきた記事に注文を付け、新たな指示を出し、彼らとキャッチボールしながら記事の精度を上げていく。
紙面全体のイメージを作り、記者以外のカメラマンたちへの注文や指示、見出しや紙面レイアウトを担う整理部記者に出来上がった記事、写真を渡す。
その間に、直接紙面原稿を書くこともある。「論説」や「デスク手帳」がそれ。
こんなデスク手帳を書いていた。
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1999年04月18日 
〈優しくなれそう〉

今月からスタートした「まるごと佐賀ん情報」を担当している。「うちの家族」「ボクの夢、私の夢」など子どもたちの文章は楽しい。おじいちゃんが大好きな女の子、かっこいい警察官のお父さんが自慢の男の子。読んでいて、噴き出したり、胸を熱くしたり、こちらも忙しい。
先生の指導で、子どもたちが熱心に書いている教室の情景が浮かぶ。各地の小学校で起きている「学級崩壊」が、遠い世界のことのようだ。
もちろん、そんなことはあるまい。いじめは生き物の本能。オオカミは、群れ全体が飢えないために、最も働きの悪い者を追い出す。食べられるシカの方も、けがを負っている者や、足の弱い子どもは見捨てられるという。
生まれ落ちた時点では、ヒトもオオカミも大差はない。その後の教育が、他の生き物とヒトとを差別化する。「忙しいお母さんを、手伝ってあげたい」という、いじらしい文章には、しっかりとした家庭のしつけ、行き届いた先生の指導を感じ、大いに安心する。この仕事を続けていると、私自身も優しくなれそうな…。
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1998年11月22日
〈しし座流星群〉

「ピークは未明」。しし座流星群の見出しをつけ、にんまりしてしまった。〝夜の勤め人〟にとって、午前三時、四時は宵の口。雨のように降る星をたっぷりと拝める。見上げれば、満天の星。さて、願い事は何にしよう。
世界経済の好転か、つつましく家内安全?。いや、ここは欲を張って「買った宝くじが大当たり」なんて…。
途端、星ならぬ冷たい滴が空からぽつり。18日午前零時20分のことだった。それでも未練がましく一時間おきに、庭に出てみたが、ついに一個の星すら見られずじまい。
「男、男、男って祈ろう。一つくらい当たるかも」と大っぴらに騒いでいた同僚の女性社員たち。物見やぐら越しのアングルを狙い吉野ケ里まで足を運んだ写真部員、一家3代で多良岳に登った高校時代の級友…。みんな本当にお疲れさま。
でもまあ、不景気な現実を忘れ、寒さや睡魔と戦いながら一夜、ロマンを追ったのは、それなりにステキな思い出になるはず。たとえ、ささやかな欲と二人連れだったとしてもだ―。

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1998年07月12日 
〈逃げ水〉

熱いアスファルトの先が濡れたように見える現象。「逃げ水」というらしい。どこまで行っても追いつけない。新聞づくりも同じ。締め切りぎりぎりまで、あらがい続け、刷り立ての紙面を見ながら「こんな見出しにしておけば…」の繰り返し。
紙面製作は夕方、素材になるニュースの扱いを決め、真っ白な割付用紙にトップ、準トップと、デッサンしていくことから始まる。夜、新しいニュースが次々に飛び込み、形はどんどん変わる。見出しも、より的確なものにと、何度も練り直していく。午後10時を過ぎると、編集局は毎日ちょっとした〝戦争〟だ。
動き続ける作業の中でミスが発生する。内容によっては、回り始めたばかりの輪転機を止める事態も。若い整理記者に大胆さを求めながら、同時に細心の注意を促さなければならない。矛盾が矛盾ではない世界だ。
しかし最後の紙面を降版した時の安どと充実感は、そんな悩みを一掃する。午前1時すぎ、社屋を出て初めて雨に気づく。次々に出発して行く発送のトラック。明日こそもっと納得いく紙面を作ろう。「逃げ水」を追う日々が続く。
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1998年03月08日
〈子どもたちが気になる〉

不況がどっかりと居座り続けている。公共工事は大幅カット、財布のひもは緩む気配なし。県内でも、このところ企業倒産のニュースが後を絶たない。今こそリーダーシップを発揮すべき大蔵省や日銀は、汚職まみれの体たらく。
紙面に大見出しで、この現状を伝えながら、片一方でこれを読む子供たちの視線が気になる。増え続ける中学生の凶行が、決して無縁ではないと思えるからだ。「どうしたらいいのか?」、悲鳴を上げる現場の教師たちに、自身の姿がだぶる。
子供たちを取り巻く環境は、われわれの時代とは隔絶の感がある。パソコン、携帯電話やポケベル、そしてバタフライナイフ…。インターネットは便利なツールだが、偏った情報だけを吸収していく危険も併せ持つ。大人の知らない世界が構築されていく。机の引き出しには、通販で手に入れたナイフも。
彼らの人権は尊重しながらも、時に部屋の点検は必要だ。厳しい時代に、頑張るおやじの背中を、きっと見ててくれると信じていたのに、振り返ったら、息子はとんでもないところへ。こんな悲劇だけは避けたい。
桜の開花も近い。子供たちの弾ける笑顔が大写しで載ったニュースが、今何より欲しい。
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〈おーい、県警〉

若いころ、2年間だけ警察記者を担当した。その4カ月前に起きた「白石・須古の連続殺人」を背負ったままの異動だった。
そして「中原町・主婦」「北茂安町・小5女児」「佐賀市・高利貸し」―と次々に殺人事件が発生。すべて未解決のまま、15年後に現在の職場で、「時効」の見出しを自ら付ける羽目になった。取材した当時の遺族の顔や声、その無念を思いつつ。
県警の名誉のために言っておくと、この間「肥前町の保険金替え玉」はじめ合計10件を超す殺人に加え、銀行強盗も2件。凶悪事件ラッシュは、少ない捜査員では荷が勝ち過ぎる事態ではあった。
それでも事件を解決するのが警察の仕事。そこで「江北町のゲームソフト店主殺し」である。発生から丸1カ月。目撃者が2人もいる。どうやら少年の犯行らしい。先日の県議会では、県警本部長が「努力する」と答弁していたが、当たり前。「犯人は必ず捕まる」が法治国家の原則であり、だれもが信じている。これ以上裏切り続けるわけにはいかない。

現場周辺の人々の恐怖を1日も早く取り除き、被疑者自身の更生のためにも、検挙を急がなければならない。過去の事件に比べ、それほど複雑ともみえない。刑事部長、何してるの?

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1997年04月13日 
〈真夜中のぼやき〉

「本日、世は事もなし。よって、この欄白紙」。こんな社会面を、いっぺん作りたい。特に週末、ニュースがない時、心底そう思う。何で治安がこんなにいいんだ、と警察を逆恨みしたくなる。とんでもない人間になっていくようで怖い。
国際紛争、外交、スポーツ…地球が狭くなり、締め切りぎりぎりで、ニュースを突っ込むのは日常のこと。でも忘れられないのはフランスの核実験。5回も6回も輪転機を止めに印刷部まで走った。日本の片田舎の新聞社のデスクが毎回、夜中に廊下を走ってるなんて、シラクは知らず。「核実験反対!」。
出来立ての粗悪な新商品(インクで手が汚れるから、中身ではないので念のため)を持ち帰り、缶ビール片手に読み返すのが日課。当然ながら既に時刻は「明日」。愚妻がやおら起き出して、ひったくると社会面の左下から記事を読み始める。
「あら、私たちより若い人が亡くなってる!」
ボキャブラリーを駆使、考えに考えて見出しをつけたトップ記事は全く無視。いつの日か、彼女が目をむくような紙面を、と決意する毎日だ。
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1996年06月09日 
〈情報化と安全意識〉

8年前から全国の交通事故死者数が1万人を下らない。阪神大震災の2倍。毎年、あんな地震が2回も起き続けていると考えると怖い。原因の大半が前をよく見ていなかったため。そこで気になるのが運転しながらの携帯電話。話すものだが、十分に気は散る。話に夢中になっての事故が現に増え始め、警察庁も調査に乗り出した。
しかしテレビやカーナビなど「見るもの」も既に出回っている。その上、ファクスまで取り付けようという計画まであるらしい。こうした車のマルチメディア化は当然、運転手がいる役員車が対象だろうが、安くなればだれもが手にできる危険が潜む。
コンピューターの発展とともに「情報化」へと時代は音を立てて進む。市場にこれら「便利グッズ」があふれ、新たな危険が生まれる。輪禍の不幸は論を待たない。後手に回らないためにも、国を挙げての早急な対策と、個々人の安全意識の徹底が急がれる。
折も折、県内のドライバーが50万人を超えた。危険はもうそこまで…。
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1996年12月01日 
〈“平成一揆”に脱帽〉

平成一揆(いっき)の勝利だ。秋田県知事辞意表明のニュースを聞いて、瞬間的にそう思った。だから当日の社会面は「住民パワーが追い詰めた」の見出しで、この記事を迷わずトップに。
役人の抵抗にめげず、膨大な資料をもとに粘り強い調査で、不正を追及していった人たちの姿勢には頭が下がる。
借金しても返さぬ住専、公定歩合を一気に下げさせ、黒転した銀行、福祉を食い物にする役人、腰の重い司法当局、そして自治体まで…。まかり通る非常識に待ったをかけた市民たちの快挙だ。
正直に言おう。食料費の情報公開が始まった時、少しうっとうしさを感じた。取材は人に本音を迫る。そんな時、アルコールは重宝だ。予算の折衝も同じだろう、少々の出費は許されると考えた。ところがどうだ。裏金、カラ出張、カラ雇用…、あらゆる不正が全国で暴かれていった。
反省。繰り返される構造汚職の中で、私自身の「是非の定規」もひずみが生じていたようだ。現状が間違っていると感じたら、決してこれを肯定せず、追及していく報道本来の使命をあらためて肝に命じた。
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1995年07月23日
〈紙面が狭い〉

今年は、のっけから大震災、オウムと〝超〟大事件のダブルパンチ。特に後者は「現在進行形ノンフィクション」で、紙面から外せない。その結果、どうしてもほかの事件が割を食う。気になっているのが殺人事件の多発。しかもほとんどがバラバラで、凶悪化している。
地震も多い。連日のように列島のどこかしらで、震度3、4クラスが発生しており、不気味だ。それが紙面に載せられない。せいぜいベタ(一段)記事だ。少年たちのいじめ、自殺なども依然、後を絶たない。外国人の犯罪が急増しているのも気にかかる。
不景気、異常気象、だらしない政治。このため世相が暗い。そういえば電気をストップされたため亡くなった気の毒なお年寄りもいた。
特に社会面は世相を映し出す鏡。これらをすべて伝えたいのに、できないもどかしさ。「地ダネ優先を」「原稿が長過ぎる、全国や世界のニュースが入らん」。毎日の報道部と整理部のやりとりは、ついつい声高になりがち。いかん、こんなときこそ私ぐらい冷静にならなければ…。
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1995年12月03日 
〈中学生の自殺〉

 **君の一周忌(11月27日)を待っていたかのように、新潟の中学生が自殺。ある識者はセンセーショナルに扱ったマスコミの姿勢にも一因があると断じた。タイミングがよすぎる。自殺をあおる結果になったという指摘は否定はできない。
 翌日、両親のOKも出て**君の実名報道に。遺書の全文も送ってきた。さて、どう扱うか。デスク会議で議論の末、第二社会面のトップで落ち着く。結果は他紙も似たような扱いではあった。
 お父さんの話では、手のかからぬいい子。はた目には明るいスポーツマン。でもいじめられ、「ぼくがぎせいになります」と、お気に入りのバスケットリングで首をくくった。
 きっかけは、いやになるくらいささいだ。遊びに来た友達が、**君の妹を泣かせた。「もう来るな」と父親にしかられた次の日から「無視」が始まった。事件後のアンケートでは、周りの子もいじめに気付いていたという。
 子どもたちは病んでいる。訴えている。みんなで考えるべき問題。新聞が無視するわけにはいかない。記事の中身、扱い、見出しのすべてに慎重を期した上で、提起して行くべきと思う。それにしても「中学生諸君、頼むから死ぬな」。


スマートフォン

2012/02/14

今や私はi-Phoneが手放せない。たまに家に忘れたりすると、気になって気になって…。少しでも時間ができると、とんぼ返りして取ってくる。自宅と勤務先と車の中の3カ所に、充電器を備え、常に使える状態をキープしている。ネット中毒の子どもたちと変わらないかも。

以前使っていた携帯電話の最大のストレスはインターネットができなかった点。「胸ポケットに入るくらいの小さいパソコンがあったら」と熱望していた。それにこたえてくれたのが米アップル社のi-Phoneだ。老眼の私にも苦にならない文字の大きさで、かつては利用しなかった携帯メールも使うようになった。調べものに欠かせないグーグルは最も頻繁に使うアプリ。手入力だけではなく、音声にもちゃんと反応しキーワードに到達できる。プロバイダと契約しなくても無線で、どこででも(山の中は無理だけど)インターネットに接続できる。

そしてメモ帳。手帳もろくに使わなかった私が携帯電話にせっせとメモる。メモ帳にはメール機能が付いており、これをそのまま自分宛てに送って、パソコンに登録。データベースを作って、いつでも引きだせる。

今、自分がいるところから行きたい所までの経路や時間、使う交通手段によって料金までわかる地図もある。インターネットはもともとNASAのシステムを利用したものだから、GPS衛星に電波を飛ばして自らの場所をピンポイントでロックオンしてしまう。
デジタル録音ができて、静止画とムービー両方のカメラとしても機能する。iPodは当然だが、You Tubeでも音楽が聴け、テレビとしてもむろん有効。このほか日本気象協会がサービスする天気予報、産経新聞の都内最終版も読める。

アップルと対立することになったグーグルが、世界中の携帯電話会社に「アンドロイド」という基本ソフト(OS)を無償で配り、あっという間にインターネットができる携帯電話=電話やメールができる小型パソコンの「スマートフォン」が広く使われるようになった。ほんとに便利。いつでも、どこでものユビキタス環境が整い、中東やアフリカでは情報統制ができなくなった王様たちが亡命したり殺されたりする「アラブの春」がやって来た。

ウィキペディア

2012/02/11

えーっと「TPP」って何だったっけ?「APEC」とは?そもそも「ICT」って?

ファッションや音楽はもとより、経済でも何でも外国から来た用語が当たり前に使われ、しかも省略される。若いころは少しは対応できたが、最近はすぐに忘れてしまう。
そんな時にPCやスマートフォンが本当にありがたい。特に後者はどこにでも持っていけるから重宝だ。グーグルなどの検索エンジンを開いて「TPPとは」と入力すると、新語時事用語辞典 Weblio辞書、ニコニコ大百科、コトバンク(知恵蔵)、そして「Wikipedia(ウィキペディア)」などのウェブ辞書、ネット辞書が言葉の解説にとどまらず、その問題点の整理までやってくれる。

ちなみにTPPは「Trans-Pacific Partnership」の略。環太平洋パートナーシップ=環太平洋戦略的経済連携協定のこと。i-Phoneひとつを胸に差しておけば、どこで誰に聞かれてもすぐに答えることができる。

ネット上の辞書として、最初に現れたのが「Wikipedia」。インターネットで自由に文書を編集できる「ウィキシステム」を使い、誰もが新規に、あるいは既存の記事の編集を行えるシステム。あるキーワードに詳しい人が、その説明を書いて、ネットにアップ。それを読んだもっと詳しい人が、間違った部分を修正、加筆する。この繰り返しで、その言葉のより正しい概念を追求していく、というシステム。3人どころか100人も1000人もの「文殊」たちがよってたかって、その言葉の精度を上げていく。

Wikipediaが立ち上がったばかりのころは玉石混交、むしろ「石」の方が多い、信頼できないとの批判が多かった。そんな中、、2005年に科学誌「ネイチャー」が英国のブリタニカ百科事典とウィキペディアの精度を比較した結果、両者の間に大きな差はないと指摘。後者の評判を押し上げる結果になった。
ただこうしたシステムである以上、特に加筆が少ない段階では信頼できない言葉も常にあるが、紙の事典と異なり、校了がないため時間がたてばたつほど磨きこまれ、より正確なものに追いついていく利点を持つ。
100%の信頼は持てないが、概ね当たっていれば、説明できていれば、とりあえず良い。そう抑えて、このネット事典を使えば、こんな便利なものはない。

2012年10月14日日曜日

マップを作成

我が「お家カフェ・どこ吹く風」の地図を作りました。

ホテル・ニューオータニや鍋島緞通「吉島家」のギャラリーが並ぶ西堀端と佐大通りの間を南北に走る小路(龍泰寺小路)。国道207号をオータニ方面に南に入り、立正佼成会を右折。突き当りから与賀神社方面へ一方通行が始まるが、この角までは左折OK。道なりに50メートルほど進み、遊水公園を南に折れて3軒目。案内板もつけました。





看板あげたら

客が来る。佐賀にはあまりない中煎りコーヒーが期待以上に好評。天然酵母パンもなかなかの人気だ。

ただ当たり前だけど、なにしろ不慣れなものだから対応がスムースにいかない。最初に出すべきお手拭きと水がいつも遅れる。BGMは止まったまま…。

何とも締まらないCAFEだが、今のところお客さんが寛大で、助かっている(^_^;)。
多くは知り合いだから、大目に見てもらっているのだが、「おうちカフェ」の看板につられて入ってくる初めての客も思った以上に多い。贅沢な話しだし、不見識だが本音(あなたたちは、もうちょっとしてから来て)を言うとちょっと困る。困ってはいられないんだけど。

最初の1カ月くらいは誰も来ない、と聞いていたのに話が違う。でもこれはとっても喜ぶべきことなんだ。

料理は楽しい!カボチャやニンジンのポタージュスープは早くも「お得意」にしてしまった。えびしんじょや筑前煮、ポテトやレンコンサラダもかみさんお「お墨付き」をもらった。

いろいろと思いつき、素材をネットに叩き込んでレシピを探す。いただいた福富レンコンで、デパ地下で高い値段で売っているというレンコンサラダも「もの」にした。とにかく楽しい。自ら作った料理に舌鼓を打ち、アフターコーヒーを飲みながら読書。時まさに秋。ベランダ越しにいい風が渡り、庭の金木犀が薫る。まさに、絵にかいたような至福の時。そんな時に客が来る。うれしい、有り難い。だけどほんのちょっぴりうらめしい…。

先日はなんと「法事」もこなした。10人のお客さんに和洋折衷(パエリアから筑前煮まで)の料理を出し、お世辞半分にしても「おいしかった。満足した」と喜んでいただいた。一人住まいのお年寄りたちへの料理の注文もいただいた。「この北堀地区には公民分館がないため、こうしたイベントがこれまで実現できなかった。福田さんがお店を開いてくれたから、コミュニティの場ができた」と喜んでもらっている。これは私もすごくうれしい。宴会のオーダーも舞い込んでいる。


店のレシピが野菜中心になるから、食べるのは野菜ばかり。おかげで一気にりスリムになった。なんだか今のところいいことづくめの日々だ。

ブロック塀にのぼりもつけた。「コーヒーでホットしませんか」。へんぽんと翻るこののぼり見て、また誰か知らない人が入ってきたらどーしよう。